ノートン
NORTON Line up
HISTORY
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1898年
「ジェームズ・ランズダウン・ノートン」ノートン・モーターサイクルズ創設者 - 1898年、ノートン社はジェームズ・ランズダウン・ノートンによって設立されました。当初はバイクと自転車の部品を取り扱う会社でしたが、数年後の1902年には、フランスとスイスからエンジンを調達してバイクの製造に参入、1908年には、自社製エンジンを搭載するバイク製造を開始します。当時の単気筒サイドバルブエンジンは、その後1950年代まで、バイクエンジンの主流として受け継がれていくことになります。
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1907年
ノートン初のTT覇者 -
1907年のマン島TTレースでは、レム・フォウラーが2気筒クラスを制覇。この時からレース界でのノートン伝説は始まりました。
第一回マン島TTレースでの勝利に続き、ブルックランドを始めとするヨーロッパ各地のレースを次々制覇したことで、パフォーマンスと信頼性を誇る本格的オンロードバイクとレースバイクのメーカーとして、ノートンの評価は確かなものとなりました。
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1909年
ハロッズで初めて販売されたモデルに乗るノートンの「パパ」 -
1916年から、ノートン製バイクのタンクにはノートンロゴが配され、トレードマークとなっています。
1930年代半ばまで、ノートンは年間4000台近くのオンロードバイクと、レースバイクを製造しました。マン島TTレースで通算10勝を挙げ、1930年から7年間に参戦したグランプリレースでは92戦78勝という戦績を残しました。しかし、第二次世界大戦中はレースから撤退しオンロードバイクの製造に専念、英国陸軍用バイクの4分の1近く、10万台以上を供給しました 。
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1925年
Norton Model 18 - 1950年には、ノートン用にフェザーベットフレームが開発されました。これは、マン島のカーブをスムーズに曲がれるように設計された軽量で強靭なフレームです、マンクス・ノートン(マン島仕様ノートン)に装着されたこのフレームは、バイクのハンドリング性能を向上させ、ジェフ・デュークやジョン・サーティースといった伝説的ライダーの勝利に少なからず貢献しました。
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1935年
ガスリーがシニアTTに初参戦 - 1951年には、ドミネーターにも他のノートンカフェレーサー車種と同様、フェザーベットフレームが導入されました。このフレームは高い評価を得て広く利用されたので、従来型フレームは瞬く間に姿を消すこととなります。1952年までライダーとして活躍したジェフ・デュークは、350ccと500ccクラスの世界タイトルを獲得し、大英帝国勲章を受賞しています。
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1952年
ジェフ・デューク - 1961年に開催されたアールズコートモーターショーでは、Commandoを発表。このモデルは、その後十数年にわたり製造され、累計5万台を売り上げることとなりました。
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1970年
Norton Commando 750 - 70年代、タバコ会社のジョン・プレイヤーから援助を受けレースに参戦。また「ノートンガールズ」キャンペーンを展開し、Commandoでも成功を収めました。しかし、景気が後退し、外車との競争が激化、ノートンをはじめ英国のバイク産業は衰退の一途をたどり、1976年にはまさに絶滅寸前となりました。Commandoの製造が終了したのはこの年のことです。
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1991年
JPS Nortonに乗るトレバー・ネイション - 再びジョン・プレイヤーの後援を受け、レース界へ復帰を果たしたノートンは、1989年、スティーブ・スプレイを擁して英国スーパーバイク選手権に参戦し、オールブラックのNorton JPSで見事勝利をおさめました。同選手権では、1994年にもガッカムス・ノートンに乗ったイアン・シンプソンが英国タイトルを獲得しています。
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1992年
ヒスロップがシニアTTを制覇 - 1992年、スティーブ・ヒスロップが乗るオールホワイトのABUSノートンが、カール・フォガーティのヤマハを破り、マン島シニアTTを制しました。マン島レースでの英国製バイクによる勝利は、ほぼ30年ぶりでした。
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2009年
世界記録樹立 - 米国ボンネヴィル・ソルトフラッツにてロータリーエンジン搭載NRV588に乗ったCEOスチュアート・ガーナーによりロータリーエンジン搭載バイク最速180マイルの世界記録を樹立しました。
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2012年
マン島TTへ復帰 - 新型レースバイクSGIにてマン島TT本戦に出場。20年ぶりにマン島TTへの復帰を果たしました。